ネタばれ:『新劇場版ヱヴァンゲリヲン・破』観てきたので書く。
さて、公開初日、そして翌日曜日は観る事ができなかったので、月曜日の最終上映に行ってきました。
平日20:30からの上映なのにも関わらず、大勢のお客さんがいておそらくほぼ満席だったと思います。
大まかなあらすじや見所などの部分は、何人もの方がエントリーを起こしていらっしゃるので詳しくは書きません。とはいえ、ネタばれ含みますのでご注意を。
予備知識なしで観るのをオススメします。
僕の場合、最初はテレビ版の再放送をスカパーかなんかで観てたような、所謂「新参」なので、詳細なデータや、歴史的な背景などは保持していませんし、キャラクターへの感情移入もそれほど強くはない方だと思います。アニメキャラクターとして「シンジ」「レイ」「アスカ」ともに魅力的だとは思いますが。
では、興味があれば下の方へスクロールどうぞ。
予告に関してもちょっとだけ考察ありです。
このあたりから、書いていいかな?
『新劇場版ヱヴァンゲリヲン・破』の感想とか
従来の旧テレビ版をはじめとする、これまでのエヴァ登場人物との大きな違いと感じたのは、次のとおり。
思いついた感じで箇条書き。
- シンジ君が「序」以降の男っぽさ、ヒーローっぽさを維持している。「碇シンジ」と呼びたい。
- レイの感情の起伏と、それをレイ自身が意識的(肯定的)に表現している(しようとしている)。人形っぽくない。
- アスカの個性だったプライドの高さよりも、周りに配慮する気持ちや他人と繋がる事に肯定的な性格への変化。
- マリは、まだわからない。が、楽観的快楽主義という感じ。任務への責任感は強いようなイメージで描かれている。ネルフとは別の機関なのかは不明。
気になった部分に対して、個人的な感想とかを書いてみようと思います。
僕が、もっとも気になった場面は、「参号機事件」と「クライマックス」〜「次回予告」です。
「参号機事件」
「参号機事件」は旧テレビ版をなぞる形で展開しますが、今回のアスカの性格設定とトウジの妹の無事退院(映像あり)によって、「参号機起動実験」の搭乗者が変更になります。アスカが実験に参加することは、レイは知っていたし、おそらくシンジも知っていたと考えられます。
旧テレビ版>「初号機VS使徒化した参号機」では、シンジはそれが誰かは気にしていないが「絶対に人間が乗っている」という認識だったと思います。「殺人はしてはいけない/したくない」という気持ちによって、拒絶していたはず。ゲンドウによってダミープラグへと切り替えが行われ、参号機を活動停止にしたあと、搭乗者が「トウジ」だと理解したはずです。
それが今回『新劇場版・破』では、最初から「日々生活を共にし、一定の好意を持って接する事ができる存在。個人を特定できる存在である『式波・アスカ・ラングレー』が搭乗している」ことがシンジは分かっています。この違いってとてつもなく大きなもので、僕の頭の中では「やめて!やめて!」という感情がグルグルしてました。このシーンの展開には、現時点では納得できていません。なぜこういう形にしなければならなかったのか・・・と。
終盤および予告編に搭乗する事で一応の生存が確認されましたが、シンジがそれを知るのは『Q』まで待たなくてはなりませんよね。一緒にもやもやもやもやすることにします。
「クライマックス」〜「次回予告」
クライマックスにおける、シンジは何かを振り切った感情が出てきているようなイメージでした。これまでの彼とは全く違う言動や行動。驚きましたし、不思議な安心感も感じました。「綾波を返せ!」という台詞には、当然狂気も感じましたけど、どういう状態であれ、彼がそういう気持ちを「言葉に出した」ことに嬉しさみたいなものを感じずにはいられませんでしたね。また、取り込まれてしまったレイに対し「来い!」と手を差し出すところはかなり感動してしまいました。クライマックスに至るまでの物語展開がそういった二人の行動に矛盾を感じさせなかったし、「こういう世界」として僕は素直に受け入れました。
綾波救出のシーンでは、当然ながら初号機VSゼリエルが行われているのですが、その間初号機を中心に「セカンドインパクト」的な何かが発生しています。正直シンジに夢中でよく覚えていないのですが。
そして、二人は初号機の中で融合してしまうわけですけど・・・直後、月からのロンギヌスの槍によって初号機は串刺しとなり、舞台は次回作である「Q」へ向かうのですが。
さっさと解決してすっきりしたいけど、また2年近く待たさせる個人的な疑問とか問題
とりあえず今のうちに書いておけ的に書いちゃう。
もういっかいおさらいする必要はありますね。
とりあえず、今週末に「テレビ版『序』」を観て、再度劇場かな。もやもやが増える可能性の方が高いけど。